Interview
神栖市若手医師きらっせプロジェクト推進会議委員
神栖市産業医学研修プログラムリーダー
神栖産業医トレーニングセンター 統括指導医
田中 完 様
2022年4月に、白十字総合病院と神栖済生会病院が共同で設立した「神栖産業医トレーニングセンター」が開設されました。私はセンターの統括指導産業医として、産業医の育成に取り組んでいます。同センターでは、鹿島臨海工業地帯周辺の企業で働く人をサポートするとともに、産業医の実務能力を育成する役割を担います。地域・職域連携構想の一つとして、医療と産業が両輪となり、地域を活性化させていくのがセンターの目的です。社員一人ひとりが健康であれば、労働のパフォーマンスが向上し、結果的には企業の生産性アップにつながる。同センターは、そうした健康経営の考え方を実践する場でもあります。
公衆衛生の分野から、減塩や禁煙を呼びかけたり、がん検診を促したりしても、なかなか効果は出にくいものです。しかし、産業医が企業に対してアプローチすることで、その企業で働く人たちだけでなく、ご家族や地域にも影響は広がります。それによって、喫煙率が低下し、地域のがん検診受診率が向上するなどの効果が期待できます。地域の人たちの健康の“キーマン”になるのが、産業医なのです。産業医が企業だけを見るのではなく、地域全体を見ながら支援をしていくことに、トレーニングセンターの特色があります。
「神栖市若手医師きらっせプロジェクト」では、認定産業医の資格を取得するための研修会を医師会等と共同開催しています。とても人気があり、毎年、全国各地の医師からの応募があります。神栖市の産業医研修会は研修期間が半年間に集約されているため、短期間で習得できることに加えて、実地研修では鹿島臨海工業地帯の企業の協力のもと工場見学ができるなど、医療機関のみならず、市民や企業の皆さんの参画のもと、力を結集して取り組んでいます。産業医研修会を受講したことで、「神栖市で働きたい」と希望する医師も実際に増えています。
鹿島臨海工業地帯には、日本を代表する企業を含め約200社があり、3万人以上の労働者が働いています。製鉄業・化学品・食品・精密機器・サービス業などさまざまな業種がそろうのもコンビナートの魅力。そうした幅広い診療経験を積むことで、働く人たちにどのようにアプローチすればよいのか、産業医の視点をしっかり身に付けることができます。ここで学ぶ産業医には、山口県の松下村塾のように、地域や産業医という枠にとどまらず、これからの日本の医療を考えられるような人材に育ってほしいと思っています。
私が産業医を目指そうと思ったのは、産業医科大学の5年生のときに参加したセミナーがきっかけです。今では学会の重鎮になられているような先生方が、産業医について熱心に話をされていて興味を持ちました。
教壇に立たれた産業医の先生は講義で、「労働者は仕事のパフォーマンスを出そうとして(やらなければならない仕事を片付けようとして)、過重労働を行います。しかし本人の能力を超えた労働は、その人の能力の限界の+αができないのではなく、最大値もだせなくなってしまう(本人の能力以下のパフォーマンスになってしまう)」とおっしゃっており、それを「最大のパフォーマンスを出すための労働力の適正化」であるとわかりやすく説明していただけました。
私は所属するバスケットボール部でエース級の選手が3人もいるにもかかわらず、結果が出せていなかった自分のチームを振り返り「優秀な選手を使いすぎる(過重労働ですね)ために、結局トーナメントを勝ち切ることができない」ことに気づきました。そこで優秀な選手を7割しか出場させない(労働力の適正化と健康確保)方針に切り替えたところ、チームの勝率は急に上がりました。そのような経験から、産業医学は実学として説得力があり、世の中に貢献できるのではと思ったからです。
産業医になろうと思ったのには、もう一つきっかけがあります。それは臨床での経験です。初期研修医のときに救急医療に力を入れている病院に勤務していたのですが、そこでどうしても助けられなかった患者さんがいました。脳出血で搬送された40代の男性患者さんです。迅速に診断と処置でなんとか命は救えたものの、半身麻痺になってしまいました。後から奥さんに話を聞いたところ、男性は3日間徹夜をして倒れているところを事務所で発見されたのだそうです。もし倒れる前に、「働きすぎだ」と誰かが言って止められていたら、と思わずにはいられませんでした。
救急医療はもちろん重要ですが、病院で待っているだけでは助けられない人たちがいます。病気になる前の段階で、働きざかりの人たちにアプローチできるのは産業医しかいない。それで産業医になることを決意しました。
2015年に鹿島製鉄所に赴任してからは、社内で若手医師を育てるために社会医学系専門医プログラムの導入に尽力しました。それによって若手医師が集まるようになり、健診で異常があれば産業医が面談をする、そのまま治療が必要であれば外来に紹介する、という循環ができたのです。そのモデルケースをさらに地域に広げたのが、若手医師きらっせプロジェクトの産業医研修会であり、今回立ち上げた神栖産業医トレーニングセンターなのです。
神栖市は市の補助制度が充実していることもあり、とても暮らしやすい地域です。温暖な気候で、美味しいものがたくさんあります。茨城県というと遠いイメージがあるかもしれませんが、成田空港までは車で30分、東京駅まで90分の距離感です。最近では、地域の高校で医学部受験を目指した専門コースを作る動きもあり、教育も充実してきています。
自宅から海辺までウォーキングをして、そこから日の出を眺めるのも楽しみの一つ。ちょうど東側に海があるので、絶景なんです。霞ケ浦や北浦などの湖にはサイクリングコースがありますし、キャンプ場も多いので、小さなお子さん連れのご家族でも過ごしやすいと思います。
ゴルフ場も多くて、茨城県は人口当たりのゴルフ人口が日本一といわれています。私もゴルフをしますが、産業医として企業の経営者と一緒に回る機会もあり、普段なかなか時間を作れない方々とコミュニケーションがとれる貴重な機会になっています。
現在、神栖産業医トレーニングセンターを含む、白十字総合病院と神栖済生会病院で、82社の企業と産業医契約を結んでいます。今後の目標は、コンビナートにある約200社の企業へと契約を広げ、コンビナート全体を診られるような体制を作っていくことです。中小零細企業では、独自の健康管理システムを持つのが難しい現状がありますが、同センターでそのサービスを提供し、利用する企業が無料で使えるようにしたいと考えています。コンビナートが一体化した健康管理システムを持つことができれば、例えば地域内で異動や転職があった場合でも継続して管理できます。企業単位ではなく、個人単位のヘルスケアが可能になるのです。最近ではそうした健康管理システムはパーソナルヘルスレコードと呼ばれていますが、まさにこれから国が進めようとしている施策の先駆けになるのではないかと思います。
もう一つの目標は、労働者外来を立ち上げること。通常の診療とは別に外来を設置し、産業医がその外来を担当することで、より効率良く、スピーディーに医療が提供できればと考えています。ITを使った遠隔診療でサポートしていくことも有効だと思います。国内でも最先端のことに取り組んでいけば、さらに神栖市に来てくれる医師が増えるのではないでしょうか。神栖市若手医師きらっせプロジェクトと連携し、ここを日本における地域・職域連携の先進的なモデル医療地域にしたいと考えています。